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経営者と従業員、教師と生徒、親と子
今ほど、心に届く「対話、会話」が必要とされている時代はありません。
「対話」は相手を打ち負かす「議論」ではなく、相手を惹きつけたり、だましたりするテクニックでもありません。
「対話」は、集団のめざす方向に心を一つにする凄い効能を持っています。
対話力をつけることができれば、経営においても教育においても大きな力を発揮することができるでしょう。
北朝鮮の核問題を巡る6 カ国協議なんかは協議といいながら対話の形はなしていないと思います。
なぜなら、対話といっても、各国の代表者が国の威信をかけてせめぎ合い自国に帰っても批判されないようぎりぎりの妥協点を見つけることに終始しているからです。
政治に真の対話が成立しないといえばそうでもありません。
政治の世界にだって対話が成立することがあるのです。
かって、ソビエトが核軍縮に大きく動き出したことがありました。
これは、ゴルバチョフとレーガン大統領が1 9 8 6 年、レイキャビクで行った会談がきっかけになったと言われています。
ゴルバチョフは当時を振り返って次のように話しています。
「ロナルド・レーガンと初めて腹を割って話をした。軍縮というテーマを超え、お互いの価値観や憶測、国民のために何を望んでいるかまで忌憚のない対話を行った」
対話によってお互いを理解することは、あらゆる場面において可能です。
そして、必要です。
企業においてはビジョンや戦略を共有し、組織を一致団結させなければならないときもあるでしょう。
それでなくてもダウンサイジングやリストラで残された社員達は疑心暗鬼にかかっています。彼らからやる気
を引き出すためにも対話は必要です。
会話、対話で必ずしも見解が一致する必要はありません。
相手に言い返す言葉を探すのに必死で相手の話など聞いていないといった対決ムードでいたら、対話は成立しません。
対話は、相手の見解を、まるごと受け入れ、相手の言いたいことの一番深い意味を考え、理解することから始
まります。
対話はいい関係を作るプロセスでもあるのです。
「あなたか私」でなく「あなたと私」です。
当然、自分の壁を打ち破らないと話が進みません。
自分の壁を打ち破ることができたとき、すばらしい奇跡に誰もが感動することでしょう。
ただし、そこまでいくには当然、技量が必要です。
技量とは、話し方がうまくなることではありません。
自分の考えと他人の考えを比較し、折り合いを付けていく心構えが必要です。
自分の考えが変わることがあります。
変わった後の考えが自分の考えとして収まってしまいます。
そして変わった後の考えを、昔から考えていたように、違う誰かに披露していることがあります。
対話は自分の考えも、あるいは相手の考えも変えることができます。
対話、会話は勝ち負けをはっきりさせるものではありません。
誰もがよいアイデアを持っているものです。
それを持ち寄り、素晴らしい解決案を導き出そうとするとき威力を発揮します。
そのためにも、対話は対等に行われなければいけません。
相手に圧力をかけてはいけません。
身分や地位が対等でない場合は、上位の者は鎧を脱ぎ去る必要があります。
対話が成立するためには、共感を持って相手の言うことを聞くようにしましょう。
そして、心の底にある思いこみを明らかにしましょう。
これは、特に日本人は難しいことかもしれません。
日本人は、これを言ったら相手は傷つくと思い、心にしまいこんでしまいがちです。
そこは相手を怒らせることは覚悟で、正直な思いは口に出して言うようにしましょう。
相手が怒ったり悲しんだり感情が揺れ動いたときには、その原因を対話で明らかにしましょう。発言のどの部分がいけなかったのか明らかにするのです。
考え方の相違が残ったとしても、お互いが手の内を正直に出し合うことで、少なくとも緊張がほぐれるはずです。
「これだけは明かすことができない」
「自分のこの考え方を否定されたら生きていけない」
というようなお互いを隔てる障害をできるだけ取り除くようにします。
対話はディスカッションではありません。
そのレベルに持って行くには、相当の訓練と実践が必要です。
打合せなどで、いきなり発言を求められたときに、しっかりコメントを返すことができますか。
「そうですね・・・私もそう思います」
「それって、いいんじゃないですか」では、芸がなさ過ぎます。
近頃の面接試験は、時間節約のためか、集団で受けさせることが多くなっています。
ライバルが同席する中で、如何にアドリブで気の利いたコメントが発せられるかで勝負は決まるといってよいでしょう。
現代社会を生きぬくため「コメント力」は必須の能力であると齋藤孝氏はその著書「コメント力」の中で説く。
コメントを求められたときは、自分の見識やオリジナリティの深さが問われているのだと思ってください。
コメントは短く早く返すことが必要です。
しかも、相手の心に残るような印象的なコメントを返したいものです。
友達同士でも、面白いコメントを言う人に人気が集まります。
コメントをしっかり言おうと心がければ、世の中を見る目が変わってきます。
観察力が鋭くなります。
テレビ番組で料理の感想を求められるとき、通りいっぺんのコメントしか返せないタレントもいれば、絶妙なコメントを返すことができる者もいます。
料理の味など、食べてみた者しかわからないはずなのですが、上手なコメントを聞くと、何となく伝わってくるから不思議なものです。
音楽もそうです。
齋藤孝氏によるとクラッシック音楽がわからなくても、評論家の吉田秀和の本を読んだ後にクラッシックを聴くと、わかるような気になるそうです。
ソムリエの田崎真也氏は、ワインの微妙な味を言葉で記憶するようにしています。
言葉というラベルをつけて味を整理するのだそうです。
このようにコメントは非言語的なものまで、相手に伝えることができるのです。
優れたコメントは的( マト) を外していません。
料理にしても、映画にしても、作り手がどこに一番力を入れているのか理解して、その部分をコメントしてあ
げるようにしましょう。
どうでもいいようなことを言及したり、あら探しをするようなコメントは決して好かれません。コメントは二
の次で本当は自分の知識をひけらかしたいという思いが見え隠れするような質の悪いものはいただけません。
コメントは聞いている人に「お得感」を与えるものでなければいけないものです。
映画であれば具体的なセリフを引用したり、料理であれば素材の産地に触れたり、知って得したと思わせるような話を盛り込むとよいでしょう。
これは、しっかり記憶していないと、いざと言うときに使えないので、日頃からいつでもコメントできるよう
に「お得感」を拾い出し、しっかり記憶に植え付けるように心がけましょう。
気の利いたコメントがいえるようになるためには日頃の練習が欠かせません。
手始めに、街角でマイクがいきなり向けられてもすぐに返せるように一行コメントをいつも心にとめておきましょう。
先日の参議院選挙で、投票のあと、新聞社にいきなりマイクを向けられコメントを求められたとき、思わず心
の中で「しまった」と思いました。選挙シーズンは誰もが自分の考えをまとめておくべきで、人との会話でも、気の利いたコメントができるようにしておくべきなのに、それをしていなかったからです。
次からは、「しまった」ではなく「しめた」と思えるようにしようと反省しました。
練習するに当たって、街の広告などにもヒントが隠されているものです。
映画の宣伝などに使われているのでセリフも参考になります。
「この映画で人生観が変わりました」
「明日から私も恋をしたくなりました」
単に「面白かった」よりはずっといいでしょう。
「おいしい」という言葉を使わずに味を表現する練習も有効です。
「まったりした」とか、「まいう」まではいかなくても、オリジナルで感覚を伝えることができるようになりたいものです。
優れたコメントは見る視点よい。切り口がユニーク。
そして表現が面白い。
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